「喜んでもらイズム」の精神のもと “明るく・仲良く・気持ちよく”
中島信也Shinya Nakajima
「自分の進む道は、自分で決めずに来ました」
中島監督の生い立ちを教えてください。
小学生の頃は、頭はまあ良かったものの足は遅くて、これでは女の子にモテない、どうしたもんか、という思いがありました。ただ音楽は好きで、当時ブームだったザ・タイガースやブルー・コメッツといったグループサウンズの真似事をしたり、
中学生になるとビートルズに憧れてバンドを組んだりしていました。
進路はどのように選択されましたか?
ジョン・レノンがリヴァプールのアートスクールに通っていて、ポールは隣の学校にいたことがきっかけでビートルズが結成されています。だから「アートスクールに行けばビートルズいけるな…」と。ビートルズになる事だけを考えて人生を歩んでいましたから。
結果、一浪して武蔵野美術大学に入学しました。
大学卒業後は東北新社に入社。今では同社の役員に就任されています。
父が博報堂の大阪本部長をしていたので、最初は博報堂を受けました。しかし「同じ会社はダメだ。辞退して制作会社を受けなさい」と東北新社を紹介され、何をやっている会社かもわからず入社したというのが経緯です。
美大卒ということでデザイナーをして、PMをやっていたら先輩に「君はプロデューサーじゃない、ディレクターになりなさい」と言われ、カバン持ちから始めて2人の師匠に付きました。正直、自分の行く道は自分自身では何も決めずにここまで来ています。
デビュー直後はどのような作品を手掛けられていましたか?
1983年に1本目を撮ったのですが、ディレクションが何なのかさえわからずディレクターをしていました。3本目のCMを撮っている途中で、フィルムを見たクリエイティブディレクターの「これはダメだ」の一言で監督を交代させられました。 相当ショックで、プロデューサーと飲みながら泣きましたよ。そこで言われたのが「中島はさ、予習が足りないよ。その場で考えるなんて10年20年早いよ」。そこからですね。普通のことですけど、予習をして現場に臨むようになって、スタッフに指示を出せるようになったのは。
リベンジじゃないですけど、1984年に放送され話題となったCM曲「月世界旅行」のMVは、はじめて自分が納得できるものになったという手ごたえがありました。その後のコカ・コーラのCMの仕事もMVっぽいものを撮って、「音楽モノが得意かもしれないな」と。
「アポジー&ペリジー - 月世界旅行」
詞:松本隆
曲:細野晴臣
編曲:細野晴臣, 国本佳宏
歌:アポジー(三宅裕司)&ペリジー(戸川純)
「喜んでもらイズムのもとで“明るく・仲良く・気持よく”を34年間続けてきているだけ」
日本を代表するCMディレクターとして映像作品を作り続けて来られた原動力・心がけなどを教えて下さい。
右も左もわからないところから始まって今までやって来ることができたのは、周りの人の支えが全てです。勝手がわからないので周りにお願いするしかないので、そのお願いを聞いてもらうためにもスタッフ、仕事をくれたプロデューサー・プランナーさんなど様々な方に喜んでもらわなければいけない。現場とその仕事に関わる人との関係を良好にしていくということを常に心がけて、それを僕は「喜んでもらイズム」と呼んでいます。
その上で、“明るく・仲良く・気持ちよく”ということが自分のモットーです。それは今でも、何年やっていても同じです。
「喜んでもらイズム」のもとで“明るく・仲良く・気持よく”とを34年間続けてきているだけです。
「明るく・仲良く・気持ちよく」を作り出す仕事だというと純粋に楽しそうな職業風ですが、きっとそれだけではないはずです。
例えば旅行に行くにあたって、連れて行かれる立場なら楽しいでしょうが、引率者はスケジュールやみんなが楽しんでいるかということを気にしないといけないので楽しくないでしょう。明るくも仲良くも気持ちよくもできるけど、自分がその場の楽しさに溺れてたらダメなんです。
中島監督の撮影はテイクが少ないことで有名だと思います。
演者のテンションをどれだけ維持し、気持よく演じて最後まで完走してもらうかなので、そこまで凝る必要なないところはすぐ切り上げます。一番大事なポイントで力尽きてしまっては困りますから。
撮影において演者がなんとなく嫌がっているようなときでも、エージェンシーのクリエイターの方はそんなことも気にせずあれもこれもやってみたいとなる状況は往々にしてあるわけですが、そんな場面ではクリエイターに対して怒りますね。役者には優しいがクリエイティブサイドには厳しい立場だと思います。
ただ、クリエイティブサイドにも配慮しなければいけないのがこの業界ですよね(笑)。
もちろん、スタッフ・タレントが「いい仕事やったなぁ」とやり遂げた感を持ってくれることが大事。その結果、クライアントにも大きな喜びがあるのがベストです。
クライアントが暗い顔してるけど、スタッフの間では盛り上がっているだとか、逆に自分とクライアントが仲良くやってクリエイターが「中島さん妥協しすぎだな」というのはありがちなダメな例でしょう。
三方四方が丸く収まる現場作りというのが理想ですし、その理想の環境を整えるコツが「喜んでもらイズム」なんです。
「上手にできるとかを超えた何か」
キャスティングについて伺わせてください。オーディションでは演者のどういったところを見ていますか?
「その人の持っている何か」でしょう。最近では寺田心くん。オーディションで「この子は何かある」と思いました。話し方が特徴的すぎるという意見もあったが、僕は「これはキュンと来る」と思っていましたし。
結局「上手にできるとかを超えた何か」が重要なんです。言葉の出し方とか。ちょっと話せばそれがわかります。そして「この人何か持ってるな」と感じた人に勝負をかけるんです。
過去、「顔だけで選ぼう」という選考方法で、オーディション時は理想に近いと感じましたが、実際に現場に入ると失敗だった、という例がありましたね。それはダメな例の一部で自分が選んだ人物は大体ハマる。
「中島監督なら大丈夫」ということが様々な事務所にもタレントさんにも浸透してきているのでしょうね。
演者が忙しい時期でも「中島だったら時間を守ってくれる」といった感じで出てくれることもあります。現場にはね、色々な欲望が渦巻いているんです。この後予定があるんだよな、早く帰りたいな、というスタッフやタレント、こだわって作りたいクリエイター、色々なバリエーションを抑えておきたいクライアント…。
広告主>広告会社>制作会社>スタッフ という力関係が分かりやすい図ですが、その一番上には芸能事務所が君臨しています。事務所や演者に気持ちよく帰ってもらうことができた日には「次回も中島でやってくれ」という指名が来ます。だから「喜んでもらイズム」なのです。
中島信也
Shinya Nakajima
株式会社東北新社 専務執行役員 CMディレクター
東北新社取締役・専務執行役員
1959年生まれ、武蔵野美術大学造形学部卒業。東北新社取締役専務執行役員、CMディレクター。1993年に日清カップヌードル『hungry? 』 がカンヌ国際CMフェスティバルでグランプリを受賞。その他受賞多数。
主な監督作品に、サントリー『燃焼系アミノ式』、ホンダ『HONDA StepWGN』、サントリー『伊右衛門』、映画『ウルトラマンゼアス』『矢島美容室 THE MOVIE 〜夢をつかまネバダ〜』など。
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