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Director

映像美の追求、ユーモアある世界など
常にトンマナの異なる映像表現に挑みたい

袴田知幸
Tomoyuki Hakamata

小学校でけん玉5時間、大学では役者。
好きなものに没頭してきた


幼少期の袴田監督はどんなお子さんでしたか?
基本ぼーっとしている子どもで、ぼーっとして何をしているかといったら、何かを妄想している…といった感じでした。 小学生時代はしつけ上テレビを見ることを一切禁止されていたので、友人たちの「昨日あれ見た?」という会話についていけなかったですね。 そんな中で見つけた趣味というか特技がけん玉で、小6の時に5段を取りました。玉を大皿と中皿を交互に乗せていく「もしかめ」という技があるのですが、玉を落とさずに5時間くらいやっていたこともあります。

5時間!そこまで没頭できる集中力は素晴らしいですね!
最終的にトイレに行きたくなって仕方なく終えたのですが(笑)、無心でやっていました。 あと没頭したことといえば、大学のときに、なんとなく始めた芝居です。当時は第三世代や惑星ピスタチオなどを代表する小劇場ブームがあって、演劇の世界がとても活気があって。 青臭い表現かもしれませんが、舞台は個人の想いを伝えられる世界だとか、その場にあるクラフトや世界観で目の前の人を感動させることができるリアルなコミュニケーションだとか、そういったことが感じられて、だからこそ夢中になったんだと思います。役者をステップとして、いずれ舞台演出に関わりたいなんてことも考えていました。

とはいえ選んだのは社会人の道で、東映CMに入社されています。
「就活して社会に出たほうがいいよ」という天の声が大学4年の秋くらいに聞こえました(笑)。 どうにかまだ採用をしている企業を2社だけ受けてみたところ、当時の東映の企画演出部長がたまたま僕を気に入ってくださって入社できましたが、正直大学の単位などなど、いろいろヤバかったです…。




メダリストたちの強さ、弱さ…
リアルを撮った「The Change Maker」


東映CM、博報堂プロダクツに所属されていたときの印象的なエピソードがあればそれぞれ教えてください。
東映時代でいうと、撮影に対する姿勢を学ばせていただいた大先輩が原田徹さんです。モットーが「撮影は戦争だ!」で、 実際に撮影の際に軍帽をかぶって臨まれるんです。あれはインパクトありました。 博報堂プロダクツ でも大手のクライアントのお仕事をさせていただき、 いろいろ勉強になったんですけど、その中で痛感していたのが「僕が作るものは、万人がいいと思うわけではないんだな」 ということ。 仕事の幅を広げたいと思ったこともあって、フリーランスに転身しました。

数々の作品の中でも印象的だったのが、平昌2018冬季パラリンピックの応援ムービー「The Change Maker」です。
広告に関わる人間として、やはりオリンピック・パラリンピックに関わる仕事はやってみたいと思っていました。パラリンピックのムーブメントを盛り上げるための映像制作という話をもらったときは、挑戦できる喜びがあったと同時に、パラリンピック選手と関わったことがないで自分がどんなスタンスで臨むべきかという思いもありました。 映像では、パラアルペンスキー(座位)のメダリストである森井大輝さん、狩野亮さん、鈴木猛史さんが出演されているのですが、対面して話をする中で「彼らをヒーローとして描きたい」と思い続けていました。強さの裏にあるリアルさ、弱さ。人々はそこに共感し、応援への気持ちが強くなる。だからこそ「ヒーローを描くからには、”影”の部分を表現したい」という思いもあって、そこは揺るぎなかったですね。
「The Change Maker」

彼らにとっての”影”は、やはり過去の事故である、と。
ここまで来るのにどんな苦しみがあったのかをそのまま描きだすことが必要であり、ムービーを作る上でも避けて通れないと感じました。また、2012年のロンドンオリンピック・パラリンピックの際も、胎児のエコー写真とその母親、紛争のシーンや自動車事故など、今まで触れられなかった領域をも表現したパラリンピック公式映像がその後子どもたちへの教育に活かされている話を知り、日本もその段階に来ているのではないかという問題提起といった側面もありましたね。 3選手とは、打合せをしたり実際に大会を見に行ったり、何度かコミュニケーションを取る中で向こうから話してくれる部分もあるし、 とはいえ逆に引き出そうとすると言いたくない雰囲気があったり、事故のことは本当に記憶がなかったりもしていて、 ドキュメンタリー的な映像の難しさも実感しました。

イントロのチェアスキーのプロダクトから、競技映像の迫力、選手それぞれが実際に事故にあった現場の映像、コピーに使った選手の言葉…。本当に秀逸な一作でした。
迫力満点の競技映像と、実際に現地に行って撮ってきた事故現場の映像のギャップを入れながら、 3人の言葉である「滑っている時は、障害を忘れられる。」「両足がないことが最大の武器。」などのコピーを強く出していきました。 パラリンピックサポートセンターの方も「レガシーを残したい」とおっしゃっており、僕自身もまさにその気持ちで作りました。




挑戦したいのは、常にこれまでと異なる映像表現


作品を作る上で、袴田監督の信念を教えてください。
「美しいものを創り出したい」という思いは常にあって、だからこそ1カット1カットに人一倍こだわりを持っていました。当然「この作品はこうすればよかった」という後悔はありますが、次はやってきたことのない映像をしたい、これまでと違う映像表現の仕事がしたいというのはいつも思っています。 あと、最近自分の中の変化もあり、映像美など探ってきた方向の映像とは違うジャンルにも対してやりがいを感じるようになっています。例えば「イエローハット」のCM。独特であり、意味不明と捉えられることも多いのですが、SNSで調査したところ約6割が「嫌い」、4割が「好き」と答えているほど賛否両論です。
「イエローハット」

その数字、CMとしては大成功といえますよね。
今までの自分がやってきたものとは全く違うので刺激的なんですよね。

今後やってみたい作品や目標はありますか?
具体的にこれというのはないです。やっぱり、今まであまりやってこなかったトーン&マナーの仕事はやってみたいと常に考えています。 当然、発注する側は僕のリールを見て「こういうの作れるんだな」と思うでしょうから、どうしても過去に作ったものと似ている広告のものを依頼されることも多いのですが、それだけではない、新しい映像にも挑んでいきたいですね。

最後に、キャストに関して好きなタイプの方や決め手となる要素を教えてください!
作品によって最初にイメージしている人物像はありますが、思い描いていた人でなくても、「こんな人いますよ」ということを発見できる場がオーディションです。だから基本的にオーディションには全て足を運んでいて、そこでキャストの方と直接会話がしたいとも思っています。 芝居が上手いか下手かというのは僕にとってはどちらでもよくて、佇まいが理想的というか、ただ立っているだけでもカッコいいな、雰囲気があるなという人は好きですね。いいなと思ったキャストの方には質問をしますし、そこでの会話でフィーリングが合うかということはとても大切にしています。

ありがとうございました。




袴田知幸
Tomoyuki Hakamata

1977年静岡県生まれ。
大学卒業後、東映シーエム株式会社に入社
2002年株式会社博報堂プロダクツ入社
2013年よりフリーランス。現在はSPECに所属
美しい映像、狂った映像、シズル感のある映像などが得意。 年々違った映像表現に取り組んでいきたいと考えている。
――受賞歴――
「SMASH」映像で、2010年6月カンヌ国際広告祭(ダイレクト部 門)、2011年アジア太平洋広告祭(INNOVA 部門)、クリオ賞 (ダイレクトメール部門)で金賞