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Director

海外で出会った学生時代の仲間、
そしてプロになって出会ったチームメイト達と共に
国内外に向けた上質な映像作品を作り続けたい。


安藤 恵哉
Keiya Ando

ハリウッド映画の監督を夢見て
高校卒業後に渡米、映画演出を専攻し、プロへの道を進む。


幼少期の安藤監督はどんな子どもでしたか。
映画しか興味がない変な子どもだったと思いますw
すべての始まりは『バック・トゥー・ザ・フューチャー』を観た事でした。時間を飛び越えていくスーパーカーを見て、自分が悩んでいた事も全て吹っ飛ぶくらい「何だこの世界は!!」と衝撃を受けて、映画にのめり込んで行きました。中学生ぐらいの時に、このすごい「映画」というもの作っている人達――監督やカメラマン、脚本家などという職業がある事に気が付き、そこから「映画監督になりたい!」と思い、ひたすら映画を見る生活が始まりました。

当時はどのくらい映画を見ていたのですか?
近所のレンタルビデオ屋に毎週末通い、観るものがなくなるぐらい観ましたw
洋画ばかり見ていたので、映画を勉強するならアメリカしかない!と勘違いをし、高校卒業後に留学を決意しましたw

日本で映像を学ぶという選択肢はなかったのですか?
あの当時はそれしか選択肢がないと思っていました…今、広告業界で働かせて頂いている中で、「日本の美大も検討すれば良かった…」と思う時もあります。広告は芸術的センスも必要ですし、業界内で美大卒生のネットワークがあったりしているのを目の当たりにしてしまい…かなり美大コンプレックスですww今からでも通いたいくらいww

留学は、まずオレゴンに行きました。そして語学を勉強し、その後に映画の専攻があるカリフォルニア州の大学に入学しました。そこでは映像演出の勉強をしましたが、最初の頃は一般教養が中心だったので、英語が出来なくて本当に苦労しました…英語でフランス語を勉強するという意味がわからない状態ww先生もフランス語訛りの英語を話す人で…全く授業が理解できない状態でしたwようやく映画のクラスが取れるようになった時、教授に「この40人クラスでプロになれるのは2人くらい、それほど厳しい世界だよ!他の道も選択肢に入れておきなさい」と言われたのを今でも覚えています。そんな中で出会って、一緒に映画を作るようになったのが現在CMやミュージックビデオなどで活躍する映像監督の安藤隼人です。隼人は在学中に就職が決まり、早く帰国し、プロになりました。なので僕が日本に帰って来た時に、彼の姿はとても良い指標になりました。そして今、大学で教授に言われた「この40人クラスでプロになれるのは2人くらい、それほど厳しい世界だよ」という中で、僕ら2人がプロになれた事もとても嬉しいと思っています。

切磋琢磨できる仲間がいたんですね。
そうですね。ありがたかったです。そして良い思い出です。隼人が帰国した後も僕自身は大学で映画を作り続け、いくつかの映画祭にノミネートさせてもらったりし、映像作りの楽しさと厳しさを勉強して行きました。大学卒業後は、サンフランシスコの映像コーディネーター会社で働く事が出来、日本のバラエティ番組や情報番組の海外ロケ撮影などを担当していました。ライティングをやりながら警官の格好をしてエキストラで出るwみたいな感じで、すごく面白かったです。現場に出てみないとわからない事も多々あったので、とても勉強になりました。そしてありがたい事に、当時一緒に働いたカメラマンさんなどと今一緒に映像を作れたりしています。その後1年間の就労ビザを取得してロサンゼルスに移動し、ハリウッド映画の現場に潜り込んでアシスタントをする様になりました。そこでJJ・エイブラムス監督やマイケル・マン監督のアシスタントを末端ではありますが、経験出来た事は良い思い出です。とはいえ、1年という限られた時間しかない上、アメリカでここからいきなり監督になるのは難しいと思い、一度日本に戻る事にしました。


プロダクション2社を経て
「予定していなかった」フリーランスに


帰国後のキャリアを教えてください。
帰国後に映画の仕事を探したのですが、給料無し!という所ばかりで…しっかり仕事として映像を作るには「広告映像」が良いと思い、色々な制作会社を受けました。とはいえ、演出での採用は皆無…自分で考えたCMの企画を持ち込んだりしたのですが、どこも門前払いで…中々難しいなと諦めかけていたのですが、そんな時に僕に興味を持ってくれたのが制作会社「雨」の社長で元Aoi proのプロデューサーだった山口まことさんでした。僕の経歴を面白がってくれて、会った翌日に広告のお仕事を頂ける事になり、監督としてのキャリアをスタートする事が出来ました。でも当時は広告の作り方など全くわからなかったので、かなりご迷惑をかけたと思います…w
広告とは何か?自分の強みを見つけるには?強い企画を生むには?そういった事を山口さんに手取り足取り教えて頂きました。山口さん自身はその後広告業ではない方向に進まれるのですが(最近、クリエイティブの世界にカムバックされたと聞き、また一緒に仕事したいなと思っています)僕はもっと広告映像を作って行きたいと思い、TYOに転職する事になりました。

そしてTYOクリエイティブセンター(現:SPARK)に入社されたのですね。
TYOでは経験出来ないような大きな仕事も色々させて頂きました。小さい頃から見ていたCMの企画チームに参加させてもらったり、有名な俳優さん、歌手など今をときめく様な人達とも沢山お仕事をさせて頂きました。そして多くのスタッフ達と関り、大きな作品を作る素晴らしさ、それと同時に大きな責任感も生まれ、モノ作りの大変さも知りました。そんな中、やはり中学生の時からの夢である「映画を作りたい」という気持ちがどんどん大きくなって行き、もう一度アメリカで「映画」に挑戦する事にしました。そしてTYOを退職して渡米しました。ですが、ビザの問題が起きてしまいました…取れると言われていたビザが取れずに渡米を断念せざるを得なくなってしまいました…そのビザの取得に費やした時間は1年半…
それは本当に辛いですね…。
まわりにも「アメリカ行って映画を撮るんだ!」と言っていましたから…中々、ビザに失敗して帰って来たとは言えず、仕事も減ってしまいました…最悪な1年半でしたね…そして、日本でフリーランスになるつもりがないフリーランス生活が始まりました…「こうなったら好きな事をどんどんやって行こう!」と思って、仲間達と自主制作でショートフィルムを撮り始めました。それがありがたい事に世界中の国際映画祭で入選入賞を果たす事が出来、減っていた広告のお仕事もどんどんやらせて頂ける様になりました。会社員ディレクターだった時に空いている時間で書き溜めていた長編映画の脚本があったのですが、それを友人に手伝ってもらって字幕翻訳をして、記念受験のつもりで、ハリウッドの国際映画祭「ビバリーヒルズ映画祭」に応募した所、入選する事が出来ました。何千作品の中からの数十作品に選んで頂き、本当に素晴らしい経験でした。それまでは色んな人に「ハリウッドなんて挑戦するだけ時間の無駄」と言われ続けてきましたが…「自信を持っていいんだ!」と素直に思える様になりました。

Ando




アメリカで培ったコミュニケーション力と人脈が強みに


現在は主にどのような活動をしていますか。
今は引き続き、広告映像の案件をやらせて頂いています。それに加えて同世代の映像クリエイター5人で「solo」というドラマや映画のストーリーを作り出す企画チームを結成して活動しています。それぞれが個々で活躍している中で、同じ方向を向いてチームで取り組んで行けるのはとても意義があると思っています。割合は個人の仕事とチームの活動が半々くらいですね。2年目になりますが、色々な方面のプロデューサーさん達と組んで、物語を沢山生み出しています。皆さんに僕らが企画した映画・ドラマをお見せ出来る様に頑張って取り組んでいます。そして個人の活動としては広告映像を中心に企画・演出から編集・VFXまで幅広く行っています。海外の映像配信会社への企画プレゼンなども積極的に取り組んでいます。

これまでの中で、思い入れのある仕事があれば教えてください。
どの仕事も全力なので何か1つを挙げることは難しいですが、海外での経験やその過程で出会った人脈というのは僕の一つの強みだと思っています。語学に関しては決してネイティブではないものの、「こういったものが撮りたい」と強い気持ちを持って伝えることを意識していますし、英語が話せる事で声をかけてもらう事も増えています。例えばNikonのワールドキャンペーンを担当した際に知り合ったAmi Vitaleです。彼女はナショナル・ジオグラフィックのカメラマンでピューリッツァー賞候補にもなっている晴らしいカメラマンです。そんなAmiと撮影で意気投合し、「ナショナル・ジオグラフィックのドキュメンタリーを一緒に作ろう!」と声をかけてくれ、監督をさせて頂いた事になりました。それは本当に素晴らしい経験でした。彼女とは未だに交流があり「また冒険に一緒に出かけよう!」と連絡くれたりします。

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後はSONY PS4用ソフトの広告をライゾマティクスのチームと制作してり、NIKEのデジタルサイネージ広告を作らせて頂いたりと、多くの海外向け及び、海外のクライアントさんとのお仕事に携わらせて頂きました。最近ではニューヨークで活躍されているラーメン中村屋さんの映像も手がけさせて頂きました。最初は20周年のプロモーションビデオの依頼だったのですが、ドキュメンタリー映画を作る事で、もっと中村屋さんの良さが世界に伝わると思い、映画と広告の中間的なドキュメンタリー映像に仕上げる事が出来、世界の映画祭に挑戦中です。やはり英語を覚えた事、海外経験をした事で、クライアントさんも代理店さんとのお仕事が世界中に広がる事を実感していて、これはさらに強固にしていきたいと思っています。

Ando


Ando


ビバリーヒルズ映画祭以外にも、数々の国際映画祭などにノミネートされ、作品を積極的に海外に発信されている印象です。
そうですね。色々海外の映画祭には挑戦し続けています。『オレの生きる道』は、韓国の富川国際ファンタスティック映画祭やTBSのDigiCon6、ハリウッドのチャイニーズシアターで開催されたJapan Cuts Hollywoodにも入選させて頂きました。『GIFT』もテキサスのダラスアジアン映画祭やロサンゼルスのJapan Film Festivalなどに呼んで頂き、多くの場所で、沢山の人達に作品を見てもらう機会をもらいました。海外で評価されるとそれがものすごく自信になって、「日本人だからと言って国内だけに留まる必要は無いんだ」「世界中には自分の作品を評価してくれる人がいるんだ」と思う様になりました。今も企画は日本だけにこだわらず海外向けにプレゼンしていますし、映画祭などで出会ったプロデューサーから声をかけて頂ける機会も増え、すごくありがたい事が続いています。「アジア人だから欧米向けに作る事は出来ない」という偏見もなくなってきていることも後押しとなっています。そして一番大きいのは世界中で動画配信が広がっている事です。国の垣根が無くなり、色んな国の作品が観られる様になりました。面白いストーリーを丁寧に演出して行けば、世界中の人に見てもらえる機会がある。というのは僕らにとって素晴らしいチャンスだと思っています。

Ando


キャストさん、スタッフといった仲間と
国内外に向けた作品を作っていきたい


ディレクションでこだわっている点などはありますか?
スタッフと協力し、演者さんにより良い演出をし、美しい画を撮っていく事は当然なのですが、「導く」という意味の「ディレクション」を担うからには、スタッフやキャスト全員を同じ方向に導いていく役目があると思っています。そこがブレてしまうと良い作品を作る事は出来ないと思っています。現場でも常にスタッフと演者さんと同じ方向を向いて、その先頭に立って歩く様に心がけています。迷う時も当然ありますがww色々な作品を見て研究し、迷う回数を減らす努力をしていますww
作品については、個人的な趣味ではあるのですが、ハッピーエンドな作品を作る事が多いです。その為、現場が終わるとみんな「楽しかった!」と言ってくれます。スタッフみんなで楽しんで作ったものは、きっと観客にもその楽しがが伝わると思うので!

Ando


キャスティングについてはどのように考えていますか?
最初に監督した作品で、いきなり有名俳優さん(お名前は出せませんが、今でも第一線で活躍されている方)と仕事をする事になり、慣れない新人監督だとその方にすぐに気が付かれてしまいましたwでもその俳優さんは僕を安心させる為に、そっとスタジオの端に僕を連れて行き「監督、何でも行ってください!何でもやりますし、試したい事があったら全部やりましょう!」と言ってくれたんです。本当にありがたかったです。おかげで撮影もスムーズに進める事が出来ました。スタッフも監督も人間です。なので、完璧じゃない。現場で当然テンパりますwwそんな時に色々な引き出しを提供してくれる演者さんはとても貴重ですよね。オーディションでは演技も当然見ますが、一番は「どれだけ現場で引き出しを提供してくれるか?」を見る様にしています。監督がいくら完璧にこなしても100%にしかなりません。演者さんとスタッフの力をかりないと200%300%のものは作れません。僕はオーディションでは「演者」を探しているのではなく、「仲間」を探していると思っています。

最後に、今後やりたい仕事や夢などを教えてください。
映像の監督という職業はずっと続けていきたいです。広告はもちろん、ドラマや映画のようなストーリーテリングもどんどんやっていきたいです。今は尺が短いweb動画がどんどん増えていますが、これは僕らにとってチャンスだと思っています。移動中にサクッと見られる様なショートストーリーや、平日の夜に30分ぐらいで気楽に観られる良質な短い物語はこれから需要が増えて行くでしょうし、可能性は大きいと思うんですよね。日本ではショートフィルムは「売れてない監督が、自主製作で作るもの」「長編映画にトライする為の足掛かり」というイメージがあります…ですがそれは間違いだと思います。世界には良質な素晴らしい短編映画が沢山あります。ピクサーが作る短編映画はほんとに素晴らしいと思いますし、アカデミー賞の短編部門を受賞する作品などはハリウッドの大作に匹敵するクオリティーのものも多く存在します。そしてアメリカでは6分~10分程度の動画配信サービスQuibiが始まり、スピルバーグが監督する事も決まっている様です。今、世界では短編動画ブームが来ようとしています。今後は広告の短い尺の中で伝える力と映画のストーリーテリングが融合した「上質な短編映画」をどんどん作って行きたいです。

あとはやはり海外に向けた発信ですね。
そうですね。全世界の人達があらゆる国のコンテンツを気軽に配信サービスを通じて見られる時代で、世界にどんな監督がいるのかという事も共有されています。これはとても面白い事ですよね。海外の人達は字幕映画は見ないという時代はとっくに終わり、いつの間にか作品に国境はなくなってました!昔、自分がバック・トゥー・ザ・フューチャーを観て大きな感動を得た様に、今度は海外の人が自分の作品を見て「面白い!」「良い時間を過ごせたな!」「感動した!」と思ってもらえるような作品を作りたいです。スピルバーグの世界観は未だに好きですし、同じ思いを持っている人も多いと思いますが、日本ではSF作品はあまり作られていないのが寂しくもあります。映画を見た後の、これまで嫌だったことや現実が全部吹き飛ぶくらいのあの感覚…そんな映画をどんどん作って行けたらいいなと思っています。

ありがとうございました。国内外に向けた安藤監督の発信を楽しみにしています。
 
安藤 恵哉
Keiya Ando

1979年横浜生まれ。アメリカ・カリフォルニアの大学で映像演出を勉強し、帰国。映像制作会社雨で演出家デビューし、映像制作会社TYOクリエイティブセンターに移籍し、数多くの広告映像を企画・演出。その後独立。現在は映画製作にも積極的に取り組んでおり、ビバリーヒルズ映画祭、ダラス・アジアン映画祭、オアハカ映画祭、富川国際ファンタスティック映画祭など60を超える国際映画祭で入選入賞を果たす。2018年より映像企画チーム「solo」を結成し、映画監督、CM監督、ドラマ監督、アニメ監督、映画脚本家の5名で活動を始める。

Web site:https://solo-tokyo.com/keiya/